地方を元気にするために、大きな工場を誘致し、高速道路を通し、新しい都市を建設すればよいのでしょうか。道路や工場ができれば、地域の経済活動は活発になるかもしれません。しかし、それだけで人々の暮らしが豊かになり、若者が地元に残り、地域社会が長く発展していくとは限りません。
1990年代初頭の日本では、全国各地に産業拠点や大規模開発を配置する国の政策が進められていた一方で、東京圏への人口や企業の集中は止まっていませんでした。地方にも工場や道路などの施設が整備されているのに、なぜ過疎と過密は解消されないのか。そこには、まちづくりの目的そのものを問い直す必要がありました。
重要なのは、地域を国の経済成長のための場所として扱うのではなく、そこに暮らす人々が豊かな生活を営むための場所として考え直すことです。国が用意した開発計画に地域を合わせるのではなく、それぞれの地域が自分たちの課題を見極め、文化、教育、福祉、産業、土地利用などを組み合わせながら、独自の未来をつくっていく。そこに「地方の論理」の核心があります。
以下では、戦後日本の全国総合開発計画(全総)の歩みと問題点をたどりながら、既成のまちづくりを乗り越えるための考え方を整理します。なお、具体的な政策や数値は主に1990年代初頭の状況を扱っているため、当時の問題意識と、現在にも応用できる考え方を区別しながら解説します。
1. 全国総合開発計画は何を目指していたのか
国土の均衡ある発展という理想
戦後日本では、高度経済成長とともに、人口や産業が東京、大阪、名古屋などの大都市圏へ集中しました。都市には仕事や教育機会が集まる一方、地方では若者の流出や人口減少が進み、過密と過疎という対照的な問題が生じました。
こうした地域格差を是正するため、1962年に第一次全国総合開発計画が始まりました。全国総合開発計画は、国土全体の利用や開発の方向を示し、地域間の均衡を図ろうとする国家的な計画です。その後、経済や社会の変化に応じて計画が改定され、1990年代初頭までに四次にわたる全総計画が策定されました。
全国総合開発計画の大まかな変遷(当時の計画を整理)
| 計画 | 主な目標・考え方 | 開発方式 |
|---|---|---|
| 第一次全総(1962年) | 地域間の均衡ある発展 | 拠点開発構想 |
| 新全総(1969年) | 開発可能性の全国土への拡大 | 大規模プロジェクト構想 |
| 第三次全総(1977年) | 人間居住の総合的環境の整備 | 定住構想 |
| 第四次全総(1987年) | 多極分散型国土の構築 | 交流ネットワーク構想 |
計画の表現は変わっても、共通していたのは、国が公共投資や産業立地を誘導し、全国に経済活動の拠点をつくることで、人口や産業の偏りを是正しようとした点です。
「地方に開発すれば、地方が豊かになる」という発想
この考え方には、一定の合理性がありました。産業が集中している場所から離れた地域にも工場や交通網を整備すれば、雇用が生まれ、企業が立地し、周辺地域にも経済効果が広がると期待できるからです。
しかし、ここには重要な前提がありました。工場や道路などの施設を整備すれば、地域の発展に必要な条件がそろう、という前提です。
実際の暮らしは、工場や道路だけで成り立つものではありません。質の高い教育、医療や福祉、文化活動、買い物の利便性、地域の歴史や景観、住民同士のつながりなども、人々がどこで暮らし、どこで働き、どこに将来を託すかを左右します。
地域に工場が建設されても、若者が求める教育や文化の機会が乏しければ、進学や就職を機に都市へ移るかもしれません。交通網が整備されても、それが人や企業を地方に呼び込むだけでなく、地方から大都市へ人や消費を送り出す経路として機能する場合もあります。
つまり、地域に施設をつくることと、地域で豊かに暮らせる仕組みをつくることは、同じではありません。 この違いを見落としたところに、既成の国土開発政策の根本的な問題がありました。
2. ハード中心の開発が見落としたもの
道路や工場が整備されても、生活の豊かさは自動的には生まれない
まちづくりでは、道路、港湾、鉄道、工場、住宅など、目に見える施設や設備を「ハード」と呼びます。それに対して、教育、福祉、文化、情報、国際交流、産業を支える知識や人材、住民が参加する仕組みなど、生活や地域の活動を支える仕組みを「ソフト」と捉えることができます。
全総計画をめぐる批判の一つは、公共投資の重点がハードに偏り、地域の暮らしを豊かにするソフト面の政策が十分に組み込まれてこなかったことでした。
たとえば、港湾と道路を整備して大規模工場を誘致すれば、企業の生産活動にとっては便利な場所になるでしょう。しかし、地域の商店街が活性化するとは限りません。働く人々が地域で消費し、子育てをし、文化活動に参加し、地元の人々とつながる環境まで整えなければ、工場の存在が地域全体の豊かさにつながらない可能性があります。
同様に、新幹線や通信網の整備は、地方の利便性を高めます。一方で、地方の人々が都市へ出やすくなり、地方で得られない商品やサービスを大都市に求める動きも促します。便利な交通網が、必ずしも地域への定着を促すわけではないのです。
産業のための都市と、生活のための都市
ここで区別すべきなのは、企業にとって便利な場所と、市民にとって暮らしやすい場所です。
企業は、輸送コスト、用地、労働力、取引先へのアクセスなどを重視します。一方、住民は、仕事のほかに、住宅費、教育、医療、福祉、買い物、余暇、自然環境、人間関係などを含めて生活の場所を選びます。企業の立地条件と住民の生活条件は重なる部分もありますが、完全に一致するわけではありません。
そのため、企業誘致に成功しても、生活環境が悪化したり、地域の既存産業が衰退したりすれば、まち全体が豊かになったとは言いにくいでしょう。逆に、住民の生活の質が高まり、地域に魅力的な仕事や学びの機会が生まれれば、地域は企業にとっても選ばれる場所になり得ます。
まちづくりの出発点は、開発する施設の大きさや投資額ではありません。そこで暮らす人々にとって、何が必要で、どのような生活を実現したいのかという問いです。
3. 全総計画の欠陥はどこにあったのか
地域の実情を知らないまま、中央から計画を組み立てる
ハード中心の開発に加えて、もう一つの問題がありました。それは、地域開発の計画が中央政府を起点に組み立てられ、地域ごとの事情や住民の希望が十分に反映されにくかったことです。
国が経済政策を立て、その政策を実施するために国土計画をつくり、さらに地域開発の法律や制度を整える。こうした流れでは、全国に共通する政策を効率的に展開できる一方、地域ごとに異なる問題をきめ細かく捉えにくくなります。
ある地域では雇用の確保が最優先かもしれません。別の地域では、農林業の再生、医療へのアクセス、歴史的な街並みの保存、子育て環境の整備が重要かもしれません。それにもかかわらず、国が示した開発モデルに地域を当てはめようとすれば、地域の本当の課題と計画との間にずれが生まれます。
さらに、この方式は自治体側の姿勢にも影響を与えました。地域の現状を分析して自ら政策をつくるよりも、「国のどの事業を誘致できるか」「どの国家プロジェクトの対象になれるか」を優先して考えるようになりやすかったのです。
地域を発展させるための制度が、いつの間にか、国の事業を獲得するための競争を促す。ここに、中央主導の地域開発が抱えた矛盾がありました。
新産業都市と巨大工業基地構想の教訓
この問題を象徴するのが、新産業都市や工業整備特別地域をめぐる政策です。
1960年代、国は工業拠点を全国に配置することで、産業や人口を大都市圏から分散させようとしました。新産業都市の指定をめぐっては、政府が当初想定していた約10カ所に対し、実際には44カ所が名乗りを上げたと記されています。最終的には、新産業都市15カ所、工業整備特別地域6カ所が指定されました。
国には、工業を地方に分散させ、過密や地域格差を解消する狙いがありました。自治体にも、工場の誘致によって雇用や税収を増やし、地域経済を活性化したいという期待がありました。双方の思惑が一致した結果、各地で工業開発が推進されたのです。
しかし、工場の立地だけで、地域の人口減少を食い止めることはできませんでした。本文は、1965年の国勢調査の段階で、東京・大阪・名古屋の三大都市圏に人口が集中し続け、地方の多くの都市や農村では人口減少が進んでいたことを指摘しています。また、指定された21地域のうち、開発に成功したと評価できる地域は数カ所にすぎないという厳しい見方も示しています。
この結果から読み取れるのは、工業開発そのものが無意味だったということではありません。問題は、工場の誘致や関連インフラの整備を、地域振興の十分条件と考えてしまったことです。
工場が地域にできても、地域住民の生活が改善するとは限りません。工場のための埋め立て、港湾、道路の整備が進められても、地域の環境や既存の産業に悪影響が出ることもあります。企業の生産活動が活発になることと、地域社会が豊かになることの間には、つなぐための政策が必要なのです。
国が地方を開発するだけでは、東京一極集中は止まらない
全総計画のもう一つの大きな欠陥として指摘されているのが、地方に産業や人口を分散させることに力を注ぐ一方で、東京などの大都市に人口、産業、文化、教育の機能が集中することを抑える対策が不十分だった点です。
地方に新しい工場や都市をつくっても、東京圏に企業の本社、大学、文化施設、専門的な仕事、情報が集まり続ければ、人々が東京を目指す流れは残ります。地方に新しい受け皿をつくるだけでなく、東京への過度な集中を生み出す仕組み自体を見直さなければ、過密と過疎の解消は難しいのです。
これは、バケツの片側から水を注ぎながら、反対側から水が流れ出るのを放置するようなものです。地方に公共投資を行っても、人口や企業を吸い寄せる力が大都市で強まり続ければ、地域間の偏りは簡単には解消されません。
本文は、東京湾や大阪湾の臨海部開発など、大都市の受け入れ能力をさらに拡大する政策にも目を向けています。大都市への集中を緩和するための国土計画でありながら、大都市側ではさらなる開発を進めていたという矛盾です。
この批判は、地方を支援する政策だけでなく、都市の成長をどう管理するかという政策も、国土全体の設計に含めなければならないことを示しています。
4. 地方自治体の「異議申し立て」が始まる
国の計画を待つのではなく、自分たちで政策をつくる
国の開発計画に限界があるなら、地方は何をすればよいのでしょうか。重要なのは、国の計画をただ受け入れるのではなく、地域自身が課題を見つけ、自分たちに必要な政策を組み立てることです。
本文は、自治体が文化政策、福祉政策、国際化政策、まちづくり政策、産業政策などを独自に展開し始めた動きを重視しています。
たとえば、地元の産業を活性化するために必要なのは、大規模工場の誘致とは限りません。地域の中小企業の技術を生かしたり、地場産品の販路を広げたり、地元で働く人を育てたりする方が効果的な場合もあります。
文化の振興でも、全国的な知名度を持つ巨大施設を建設することだけが方法ではありません。地域の芸術活動を支援する、住民が文化に触れる機会を増やす、地域の歴史を次世代に伝えるといった取り組みも、地域の魅力を形づくります。
福祉についても、国の制度を実施するだけでなく、地域の高齢化の状況や交通事情、医療機関の配置、住民同士のつながりを踏まえた工夫が求められます。
つまり、地方自治体は国の政策を実行するだけの組織ではありません。地域の実情を最もよく知る立場から、何を優先し、どのような社会をつくるのかを考える主体でもあるのです。
「見えざる遷都」とは何か
こうした変化を説明するために、本文では「見えざる遷都」という考え方が登場します。
一般に遷都といえば、首都を別の場所へ移すことを想像します。しかし、ここで重要なのは、首都という物理的な場所を移転させることではありません。政策を考え、決定し、実行する力を中央から地方へ移していくことです。
本文は、地方自治体への権限や財源の委譲に加えて、地方で文化、教育、福祉、国際交流、産業、土地利用などの政策を自立的に展開する必要性を説いています。
権限や財源が地方に移っても、自治体が自分たちの政策をつくれなければ、地域の自立は実現しません。反対に、地域が独自の政策を始めても、必要な権限や財源がなければ、できることは限られます。
したがって、地方の復権には、制度面の地方分権と、地域自身が生活の豊かさを実現する政策づくりの両方が必要です。
「見えざる遷都」は、首都を移すという一度きりの大事業ではなく、地域が自らの将来を決める力を少しずつ取り戻していく過程と理解できます。
5. 地域独自の政策は、暮らしの具体的な問題から生まれる
ファッションから教育・医療まで、地域政策の対象は広い
地域が自ら政策を考える必要性は、産業やインフラのような大きな問題だけに限られません。日々の買い物や文化活動、教育、医療といった、暮らしに身近な問題にも表れます。
本文では、北日本のある県庁所在地に住む若い女性が、冬場にも飛行機で東京へ出かけ、青山や原宿でブランド商品を購入する例が紹介されています。地元の百貨店にとっては厳しい状況ですが、これは単なる買い物の話ではありません。地域に魅力的な商品や流行、文化に触れる機会が乏しければ、消費や人々の関心が大都市へ流れてしまうという問題です。
この例が示しているのは、まちづくりが道路や工場の配置だけでは完結しないということです。地域で暮らす人が、買い物、芸術、音楽、教育、医療などの面でも満足できるかどうかが、地域の魅力を左右します。
本文は、茨城県水戸市の芸術政策、静岡県掛川市の土地利用計画、岩手県内の町村による福祉・医療政策、1992年に開学した山形県や福井県の公立大学などを、自治体が独自の政策を展開してきた例として挙げています。
ここで重要なのは、すべての地域が同じ政策を採用する必要はないという点です。文化活動を地域の特色として伸ばすところもあれば、福祉や医療を優先するところもあるでしょう。産業の再生や教育機会の充実を中心に据える地域も考えられます。
地域の個性とは、観光パンフレットに載せる名物や景観だけではありません。どのような暮らしを大切にし、どのような問題を先に解決しようとするかという、地域社会の選択にも表れるのです。
東京の政策と異なる方向を選ぶ自治体
自治体独自の政策は、地方だけでなく東京の内部でも始まっていました。
1980年代後半の地価高騰によって、東京では住宅を取得したり、公共賃貸住宅を供給したりすることが難しくなりました。これを受けて、東京都の特別区の中には、住宅条例や住宅基本計画を整備し、住民が住み続けられる環境を確保しようとする自治体が現れました。
本文では、千代田区、中央区、港区などで、事務所ビルに住宅を併設させる施策などが取り上げられています。国や東京都が開発を促進する方向に進む一方、都心の自治体は、住宅を確保し、過度な集中を抑制する方向の施策を始めていました。
これは、地域の実情に応じて政策の方向を変える必要性をよく示しています。都市の活力を高めることが常に最優先とは限りません。働く場所が増えても、住民が住めなくなり、生活の場が失われてしまえば、都市の豊かさは損なわれます。
地方であれ大都市であれ、地域の実情に応じて国の政策を見直し、必要ならば異なる方向を選ぶ。こうした自治体の動きを、本文は全総計画への「反乱」とも表現しています。
ここでいう反乱は、単に国に反対することではありません。国が決めた開発の方向を唯一の正解とせず、地域の暮らしを基準に政策を考え直すという意味で捉えられます。
6. 地方の豊かさを実現するには、優先順位が必要になる
すべてを一度に解決することはできない
地域独自のまちづくりには、大きな可能性があります。しかし、自治体が自由に政策を考えられるようになれば、すぐにすべての問題を解決できるわけではありません。
自治体には、財政力、人材、行政組織の能力などに限界があります。文化、教育、福祉、産業、交通、住宅、環境のすべてを同時に充実させるのは難しいため、何を優先するのかを決める必要があります。
本文も、地域で始まったまちづくりは、まだ市民生活のあらゆる分野を十分に満足させる段階には至っておらず、行財政力の限界を踏まえて、地域で何を最優先にすべきか検討する必要があると述べています。
たとえば、若年層の流出が深刻な地域なら、仕事の創出だけでなく、教育機会や文化活動、子育て環境を組み合わせることが必要かもしれません。高齢化が進んだ地域なら、医療・介護へのアクセスや移動手段の確保が急務になるでしょう。歴史的な街並みが残る地域では、景観の保全と住民の生活、地域経済を両立させる政策が重要になります。
こうした優先順位は、地域ごとに違ってよいのです。全国一律のモデルを当てはめるのではなく、地域が抱える課題の深刻さや住民の希望を踏まえて、限られた資源をどこに配分するかを決めることが求められます。
まちづくりは、完成した施設ではなく、積み重なる政策である
大規模な開発事業には、完成した建物や道路など、目に見える成果があります。しかし、地域の豊かさは、建物が完成した時点で完成するものではありません。
施設が使われ続け、地域の仕事や文化活動を支え、住民の暮らしに役立ち、次の世代にも引き継がれることで、初めて長期的な価値が生まれます。
そのためには、政策を一度実施して終わりにするのではなく、住民の生活がどう変わったのかを確かめ、必要に応じて見直す姿勢が欠かせません。地域の課題は時代とともに変化するため、まちづくりも継続的に更新される必要があります。
本文は、地域の豊かさを実現するには長い時間がかかるとし、欧州の国々でも、生活の豊かさを実現するために長年にわたって政策を積み重ねてきたことに触れています。
この考え方は、まちづくりを短期的な成果や一度の大型事業で評価するのではなく、暮らしを支える仕組みを長期的に育てる営みとして捉えることにつながります。
7. 既成の「街づくり」を乗り越えるために
開発の規模ではなく、地域の暮らしを基準にする
ここまでの議論をまとめると、既成のまちづくりへの異議は、単に大型公共事業や国の計画を否定することではありません。問われているのは、何のために開発を行うのか、誰のために地域をつくるのかという根本的な目的です。
道路や鉄道、工場、公共施設は、地域の暮らしを支える重要な基盤です。問題は、それらの整備が目的そのものになってしまうことです。施設の建設や投資額を成果とするのではなく、その結果として、地域の人々がどのような生活を営めるようになったのかを問わなければなりません。
この視点に立つと、まちづくりの評価基準も変わります。人口や企業の数、施設の規模だけでなく、地域で働き続けられるか、安心して子育てができるか、必要な医療や福祉を受けられるか、文化に触れる機会があるか、地域の歴史や自然が守られているか、といった生活の質が重要になります。
国の支援と地域の主体性を両立させる
地域の主体性を重視することは、国が責任を放棄してよいという意味ではありません。交通網や社会保障、教育制度など、国全体で整えるべき基盤はあります。また、財政力の弱い自治体が、自分たちの努力だけで必要な公共サービスを維持するのは困難です。
必要なのは、国が全国共通の基盤や財源を支えながら、地域がそれぞれの事情に応じて政策を組み立てられるようにすることです。
地方分権は、権限を移すだけでは十分ではありません。地域が自分たちの将来像を描き、その実現に必要な政策を選択し、実行し、検証する力を育てることが欠かせません。さらに、住民が政策形成に参加し、自治体とともに地域の課題を考える仕組みも重要になります。
この意味で、地方の復権は、行政の仕組みを変えるだけの改革ではありません。地域の人々が、自分たちの生活や将来について考え、決定し、責任を担うことのできる社会へと移行することでもあります。
現代のまちづくりにも通じる問い
この問題意識は、現在の地域政策にも応用できます。人口減少や高齢化が進む地域では、大型施設を建設することよりも、公共交通、医療・介護、買い物、教育、働く場などをどう維持し、組み合わせるかが重要になる場合があります。
また、デジタル技術やオンラインサービスが発達しても、地域の課題がすべて解決するわけではありません。通信環境が整っていても、地域に仕事や学びの機会がなければ、人々が暮らし続けられるとは限りません。技術を導入すること自体ではなく、それによって誰の生活がどう改善するのかを考える必要があります。
ただし、1990年代初頭に示された状況を、そのまま現在に当てはめることはできません。産業構造、人口動態、技術、自治体制度はその後も変化しています。それでも、地域の実情を無視した画一的な開発を避け、住民の生活を中心に政策を組み立てるという考え方は、今も重要な視点です。
8. まとめ――地方が自らの未来を決める社会へ
「地方の論理」が求めているのは、地方に多くの施設や工場を配置することだけではありません。地域を国の経済成長を支えるための場所として見る発想から、地域に暮らす人々が豊かな生活を営むための場所として捉える発想への転換です。
戦後の全国総合開発計画は、地域間格差の是正や人口・産業の分散を目指しました。しかし、道路、港湾、工場などのハード整備に偏り、地域の文化、教育、福祉、情報、生活を支える仕組みが十分に組み込まれなかったこと、また、中央から地域へ計画を当てはめる方式が地域の実情を捉えにくかったことが、大きな問題として指摘されました。
その反省から見えてくるのは、地域自身が課題を見極め、限られた資源の中で優先順位を決め、独自の政策を積み重ねる必要性です。地方分権や「見えざる遷都」も、単なる権限移譲ではなく、地域が自らの未来を決める力を取り戻すという意味を持ちます。
まちづくりを評価するときに、最後に問うべきなのは「何を建設したか」だけではありません。「その結果、誰の暮らしがよくなったのか」「地域の人々がこの場所で暮らし続けたいと思えるようになったのか」という問いです。
地域の豊かさは、国が計画をつくり、施設を整備すれば自動的に生まれるものではありません。地域の人々の生活を起点に、行政、産業、文化、教育、福祉などを結びつけ、長い時間をかけて育てていくものです。
まちづくりの主役を、開発事業から地域の暮らしへ、中央の計画から地域の主体性へ移すこと。 それが、既成の「街づくり」への異議から導かれる、最も重要な教訓です。
