2022年の主な出来事

日本近代思想各論 | 記事URL


【1月】
●箱根駅伝、青山学院大が優勝
 第98回東京箱根間往復大学駅伝競走(箱根駅伝)は3日、往路トップの青山学院大が復路も首位を譲らず、大会新記録の10時間43分42秒で2年ぶり6度目の総合優勝を果たした。




●iPS細胞で慶大が世界初の脊髄治療
 慶応大は14日、人のiPS細胞(人工多能性幹細胞)から神経のもとになる細胞を作り、脊髄損傷の患者に移植する臨床研究の手術を実施したと発表した。脊髄損傷に対するiPS細胞由来の細胞の移植手術は世界初。


●大学入学共通テスト、問題流出
 15日に実施された大学入学共通テストで、世界史Bの問題が流出した。試験中に設問を外部に送って解答を得たとして、警視庁は、流出させた女子大学生と画像を外部に送る「中継役」の男を偽計業務妨害容疑で書類送検した。


●埼玉立てこもり、医師撃たれ死亡
 埼玉県ふじみ野市の民家で27日、住人の男が医師らを呼び出して発砲し、立てこもった。埼玉県警は約11時間後に警察官を突入させ緊急逮捕。医師は胸部を撃たれて死亡し、同行の男性2人も重軽傷を負った。


【2月】
●作家・元都知事の石原慎太郎さん死去
 元東京都知事で、運輸相などを歴任した作家の石原慎太郎さんが1日、89歳で死去した。


●北京五輪、日本勢のメダル冬季最多
銀メダルを胸に笑顔を見せる日本代表のロコ・ソラーレ
 第24回冬季五輪北京大会が4日、開幕した。大会は20日に閉幕し、日本のメダルは金3個、銀6個、銅9個の計18個で、2018年 平昌ピョンチャン 大会の13個を上回り冬季最多となった。


●新型コロナ感染者、1日あたり10万人超え
 新型コロナウイルスの「オミクロン株」が流行する。1日の新規感染者数が5日、初めて10万人を超えた。夏には感染力の強い同株の新系統「BA・5」が 蔓延した 。7月23日には1日の感染者数が初めて20万人を超えた。


●藤井聡太竜王が最年少五冠
 将棋の王将戦七番勝負で12日、藤井聡太竜王が渡辺明名人に4連勝した。藤井竜王は19歳6か月で史上初めて10歳代で五冠を達成した。


●強制不妊で国に初の賠償命令
 旧優生保護法に基づく不妊手術を強制されたとして、近畿地方の男女が国に損害賠償を求めた訴訟の控訴審判決で、大阪高裁は22日、国に計2750万円の賠償を命じた。1、2審を通じて初めて国の賠償責任を認定した。3月には東京都内の男性が同様に損害賠償を求めた裁判でも、東京高裁が国に1500万円の賠償を命じた。


【3月】
●北京パラ、日本勢メダル7個
 第13回冬季パラリンピック北京大会が4日、開幕した。大会は13日に閉幕し、日本は金4個、銀1個、銅2個の計7個のメダルを獲得した。


《11》宮城・福島で震度6強、新幹線脱線
地震で脱線した東北新幹線の車両
 福島県沖を震源とする地震が16日夜、発生し、宮城、福島両県内の各地で震度6強を観測した。この地震で東北新幹線が脱線し、福島―仙台間で約1か月運休した。東京都内でも震度4を記録した。


《12》東電管内で初の電力需給逼迫警報
 政府は21日、東京電力の管内で電力が22日に足りなくなる恐れがあるとして、初の「電力需給 逼迫ひっぱく 警報」を出し、1都8県で、家庭や企業に節電への協力を求めた。


●プロ野球観客上限なしで開幕
 プロ野球が25日、開幕した。過去2年はコロナ禍で無観客や入場者数の制限を設けており、3年ぶりに観客数の上限なしで試合が実施された。


●「ドライブ・マイ・カー」が米アカデミー賞
 第94回米アカデミー賞が27日発表され、濱口竜介監督の「ドライブ・マイ・カー」が、日本映画では13年ぶりとなる国際長編映画賞を受賞した。


【4月】
●改正民法施行、成人年齢18歳に
 改正民法が1日施行され、20歳だった成人年齢が18歳に引き下げられた。ローンを組むなどの契約が18歳から可能となる。民法の成人年齢に関する規定変更は146年ぶり。


●「プライム」など東証新区分スタート
 東京証券取引所で4日、新たな市場区分「プライム」「スタンダード」「グロース」の株式取引がスタートした。従来の1部、2部、ジャスダック、マザーズから再編。約60年ぶりの大規模な見直しとなった。


●漫画家の藤子不二雄(A)さん死去
 「オバケのQ太郎」「忍者ハットリくん」などの人気作品を手がけた漫画家の藤子不二雄(A)さんが6日、88歳で死去した。


●ロッテ・佐々木朗希が完全試合
 プロ野球パ・リーグ、千葉ロッテマリーンズの佐々木 朗希ろうき が10日のオリックス・バファローズ戦で、史上16人目となる完全試合を28年ぶりに達成した。


●知床観光船沈没事故
作業台船によってつり上げられる観光船「KAZU I(カズワン)」
 北海道・知床半島の沖合を航行中の観光船「KAZU I(カズワン)」が23日、消息を絶った。沈没した船体は29日に見つかった。この事故で乗客乗員26人のうち20人が死亡し、乗客6人が行方不明。運航会社の判断などを巡り、第1管区海上保安本部が業務上過失致死容疑で捜査している。


【5月】
●経済安保法成立
 経済安全保障推進法が11日の参院本会議で可決、成立した。日本の経済安保態勢の抜本的な強化を図るのが狙い。


●沖縄本土復帰50年
 沖縄は15日、1972年の本土復帰から50年を迎えた。


●山口・阿武町が4630万円誤給付
 山口県阿武町が新型コロナ関連の給付金4630万円を誤って同町の男の銀行口座に振り込んだことが判明。山口県警は18日、振り込まれた金を自分の金のように装って決済代行業者の口座に振り替えたとして、男を電子計算機使用詐欺容疑で逮捕した。町と男の民事上の争いは和解で決着し、町は全額を回収した。


【6月】
●堀江謙一さん、最高齢で太平洋横断
 海洋冒険家の堀江謙一さんが4日、ヨットでの単独無寄港の太平洋横断に世界最高齢(当時83歳)で成功した。


●ボクシング井上尚弥、3団体統一王者
 プロボクシングの世界3団体バンタム級王座統一戦で7日、井上尚弥(大橋)がノニト・ドネア(フィリピン)を破り、日本人初の世界3団体統一王者に輝いた。


●リュウグウ試料からアミノ酸23種
 日本の探査機「はやぶさ2」が小惑星リュウグウから持ち帰った石や砂から、アミノ酸が23種類見つかったと岡山大などの研究チームが10日付で明らかにした。


【7月】
●日大理事長に作家の林真理子氏
 前理事長の脱税事件など不祥事が相次いだ日本大の理事長に1日、直木賞作家の林真理子氏が就任した。


●KDDI、全国で通信障害
 KDDIの携帯電話の通話やデータ通信が利用しにくくなる障害が2日、発生した。最大3915万回線に影響し、過去最大級の通信障害となった。


●安倍元首相が撃たれ死亡、9月に国葬
自民党関係者が献花台に安倍元首相の遺影を設置(7月)
 奈良市で8日、参院選の応援演説中だった安倍晋三・元首相が無職の男に銃撃され、死亡した。男は、母親が多額の献金をした世界平和統一家庭連合(旧統一教会)を恨んでおり、「つながりがあると思った安倍氏を狙った」と供述。9月には安倍元首相の国葬が営まれた。


●参院選で自民大勝
 第26回参院選は10日、投開票が行われ、自民党が63議席を獲得し、単独で改選定数124の過半数を占めて大勝した。


●羽生結弦、プロ転向を表明
 フィギュアスケートの羽生結弦は19日、競技の一線から退き、プロスケーターに転向することを表明した。


【8月】
●服飾デザイナーの三宅一生さん死去
 世界的に活躍したファッションデザイナーで文化勲章受章者の三宅一生さんが5日、84歳で死去した。


●大谷翔平、ルース以来の2桁勝利2桁本塁打
エンゼルス・大谷投手
 米大リーグ・エンゼルスの大谷翔平が9日、10勝目を挙げ、ベーブ・ルース以来、104年ぶりとなる「2桁勝利、2桁本塁打」を達成した。10月には同一シーズンで規定投球回と規定打席の両方に到達。現在の大リーグ史上初の快挙となった。


●第2次岸田改造内閣発足
 第2次岸田改造内閣が10日、発足した。松野官房長官ら主要閣僚の5人が留任し、9人が初入閣した。


●服飾デザイナーの森英恵さん死去
 日本を代表するファッションデザイナーで文化勲章受章者の森英恵さんが11日、96歳で死去した。


●五輪汚職、組織委元理事ら逮捕
 東京地検特捜部は17日、東京五輪・パラリンピック大会組織委員会の高橋治之元理事を受託収賄容疑で逮捕した。大会スポンサーだった紳士服大手「AOKIホールディングス」側から賄賂を受け取った疑い。創業者ら3人も贈賄容疑で逮捕された。事件は出版大手「KADOKAWA」などにも広がり、計15人が起訴。11月にはテスト大会事業を巡る入札談合疑惑で、特捜部と公正取引委員会が大手広告会社「電通」などを独占禁止法違反容疑で捜索した。


●夏の甲子園で仙台育英優勝、東北勢初
 第104回全国高校野球選手権大会決勝が22日、甲子園球場で行われ、仙台育英(宮城)が下関国際(山口)を破り、初優勝。東北勢は、春の選抜大会を含めて甲子園初制覇。


●政府が新型コロナ全数把握見直し
 政府は24日、全ての新型コロナ感染者を確認する「全数把握」を見直し、知事の判断で、対象を重症化リスクの高い人に限定できる仕組みを導入すると発表。10月には新型コロナの水際対策も大幅に緩和された。


【9月】
●囲碁・藤田怜央君、9歳4か月で最年少プロに
 大阪市の小学3年生・藤田 怜央れお 君が囲碁の英才特別採用試験に合格し、1日、国内最年少の9歳4か月でプロ入りした。


●3歳女児、通園バスに取り残され死亡
 静岡県牧之原市の認定こども園で5日、3歳女児が通園バス内に約5時間にわたって取り残され、熱射病で死亡した。県警が業務上過失致死容疑で捜査を進めている。


●西九州新幹線開業
 佐賀県と長崎県を結ぶ西九州新幹線(武雄温泉―長崎間、約66キロ)が23日、開業した。


●日中国交正常化50年
 日中両国は29日、国交正常化から50年を迎えた。11月には約3年ぶりに日中首脳会談が行われた。


【10月】
●アントニオ猪木さん死去
 元プロレスラーで、参院議員も務めたアントニオ猪木さんが1日、79歳で死去した。


●物価高騰、商品値上げ相次ぐ
 原材料価格の上昇や円安の影響を受けて物価の高騰が続く中、飲食料品の値上げラッシュが1日にピークを迎えた。


●ヤクルト村上が56号本塁打、三冠王
 プロ野球・東京ヤクルトスワローズの村上宗隆が3日に56号本塁打を放ち、1964年の王貞治(読売巨人軍)の55号を超えて日本選手のシーズン最多本塁打を更新。史上最年少の22歳で三冠王に輝いた。8月にはプロ野球新記録となる5打席連続本塁打も達成していた。


●北朝鮮のミサイル発射相次ぐ
 北朝鮮が異例の頻度でミサイル発射を繰り返し、4日には弾道ミサイルが青森県上空を通過して太平洋上に落下した。北朝鮮は11月にも大陸間弾道ミサイル(ICBM)を発射し、北海道沖の排他的経済水域(EEZ)内に落下した。


●鉄道開業150年
 日本で鉄道が開業して14日で150年を迎え、各地で記念式典や催しが開かれた。


●東工大と東京医歯大、統合で合意
 東京工業大と東京医科歯科大は14日、2024年度中をめどに統合することを盛り込んだ基本合意書を締結した。


●32年ぶり円安、1ドル=150円突破
 為替相場で円安が急激に進み、20日の東京外国為替市場で一時、1ドル=150円台まで下落。バブル期の1990年8月以来、約32年ぶりの円安水準を更新した。


●蝉川泰果がゴルファー日本一、アマ95年ぶり
 ゴルファー日本一を決める第87回日本オープン選手権で23日、東北福祉大4年の 蝉川泰果せみかわたいが が優勝。アマチュア優勝は第1回大会の赤星六郎以来、95年ぶり。


●辞任ドミノ、閣僚更迭相次ぐ
 岸田首相は24日、「世界平和統一家庭連合」(旧統一教会)との関係が相次いで判明した山際大志郎経済再生相を更迭した。11月11日には、死刑執行に関する職務を軽視するような発言をした葉梨康弘法相、同月20日には政治資金収支報告書の不適切な記載などが発覚した寺田稔総務相をそれぞれ更迭した。


●王将社長射殺容疑で暴力団幹部逮捕
 「 餃子ギョーザ の王将」を展開する王将フードサービスの社長だった 大東おおひがし 隆行さんが2013年に京都市内で射殺された事件で、京都府警は28日、特定危険指定暴力団「工藤会」系組幹部を殺人などの容疑で逮捕した。


●オリックス26年ぶり日本一
 プロ野球の日本シリーズは30日、オリックス・バファローズが東京ヤクルトスワローズを破って、26年ぶり5度目(阪急ブレーブス時代を含む)の日本一に輝いた。


【11月】
●セブン、「そごう・西武」売却へ
 セブン&アイ・ホールディングスは11日、傘下の百貨店「そごう・西武」を米投資ファンドのフォートレス・インベストメント・グループに売却すると発表した。


●旧統一教会が政治問題化、文科相が質問権行使
 「世界平和統一家庭連合」(旧統一教会)による高額寄付などの被害や政治家との接点が政治問題化した。永岡文部科学相は22日、旧統一教会に宗教法人法に基づく質問権を行使した。


●政府の有識者会議が防衛力強化を提言
 政府の「国力としての防衛力を総合的に考える有識者会議」は22日、防衛力を5年以内に抜本強化するよう求めた報告書を公表した。


●サッカーW杯で日本代表熱戦
スペインに勝利し、喜ぶ日本代表の選手たち
 サッカーのワールドカップ(W杯)カタール大会で、日本代表はグループリーグ初戦の23日、ドイツに勝利した。その後、コスタリカに惜敗したもののスペインを下し、2大会連続で決勝トーナメントに進出した。



新しい文化意識

日本近代思想各論 | 記事URL


平民主義と国粋主義は、こんなかたちで、日本の近代化がいかにあるべきかについての論点を川脈にしました。そうしてここで提起された欧化か国粋かの課題は、こののちどんな思想が創られる場合にも、一貫して意識の底に流れつづけることとなりました。



むしろ逆に、それが思想の創造へのばねになったともいえるほどです。若い日の夏目漱石・西田幾多郎・鈴木大拙・津田左右吉らはいずれも、その課題に立ち向かい、どうすれば内的な創造性を打ちたてうるかを思索するなかで、思想を形成してゆきました。克明な日記の残されている津田の場合、「国民之友」とくに「日本人』の吸収過程をはっきり辿ることができます。

それぞれのもつ立場性ゆえに、平民主義と国粋主義は、新しい文化意識の発芽をもたらしました。

平民主義の場合、「国民之友』は抜群に著名で多彩な執筆者陣を擁しました。民権家にの中江兆民・植木枝盛・田口卯吉ら、キリスト教徒の新島喪・内村鑑三・植村正久・新渡戸稲造・安部磯雄・浮田和民ら、社会問題研究家としての片山潜、文学者の森鴎外・坪内道遥・二葉亭四迷ら、学界人としての井上哲次郎・梅訓次郎ら、政官界の尾崎行雄・金子堅太郎らと数えてゆけば、編集人としての蘇峰の手腕に驚かざるをえません。

とくに文学者たちの寄稿を求めることで、近代文学の誕生にとって介添の役割を果しました。

民友社の場合、なかでも注目したいのは、新しい史論を興したことです。徳富蘇峰『吉田松陰』二八九三年)を初め、竹越三叉「新日本史』二八九一’九二年)、「二千五百年史」(九六年)、山路愛山「足利尊氏」(一九○九年)、『基督教評論。Ⅱ本人民史』(前者は一九○六年、後者は生前未刊)などが、代表的な作品です。民友社員たちによるそれらの作品には、田中彰が指摘するように、「貴族的欧化主義」に代る「第二維新」をめざす気持が、色濃く投影されていました(『明治維新観の研究』北海道大学図書刊行会、一九八七年)。


考証肥大に陥らず、闘達に歴史を論じる史論史学の気風は、日本の歴史学にとって貴重な遺産となっています。歴史への関心は国粋主義でもつよく、三宅雪嶺『同時代史」全六巻(岩波詳店、一九四九’五四年。原題「同時代観」として、主宰する雑誌『我観』に一九二六~四五年、延々と書きつがれました)は、市井のできごとへの卓抜な観察眼を随所に彼猟しながら、薩長的な王政復古史観とは一味も二味も異なる、編年的な近代史像を描きだしました。

政教社にそのほか、民友社員の史論史学に当る著作を求めれば、地理学の書物としての志賀重昂「日本風景論』(一八九四年)となりましょう。「想ふ浩々たる造化、其の大工の極を吾が日本に錘む」との立場から、日本の地勢・気候・植物・地質などの特色を、その地についての古人の文章や詩歌をも配しつつ、眼前に努龍とするよう叙述し、登山の趣味を奨め自然の保護を説いたこの書物は、自然科学的な観察眼をもちながらも従来の地理学の無味乾燥性・平板性を一変して、風土にたいする愛情を深めるものがありました。この作品によって彼は「日本のラスキン」(内村鑑三)と呼ばれました。

同時に国粋主義は、平民主義が西洋の文学動向に敏感に反応しつつ、新しい文学観念を育てていったのと対照的に、伝統的な文学の再生による新しい文学の樹立をめざしました。正岡子規の俳句・和歌の革新連動は、新聞「日本」を舞台として繰りひろげられています。「月次」とよばれるような惰性に陥っていたこれらの文芸は、子規によって新しい生命を吹きこまれたのです。そういう子規をみいだし、場を与え、庇誰しつづけたのは、掲南でした。



平民主義と国粋主義

日本近代思想各論 | 記事URL


平民主義は、一八八七年、当時二五歳の徳窟蘇峰が民友社を興して掲げた旗峨です。

蘇峰は、本名猪一郎、その号の示すように阿蘇山の位置する熊本県の出身、新島製の同志社に学び、熊本で民権青年として活蹄してきました。二○歳で私塾大江義塾を附設、文筆活動でも頭角をあらわし、八六年に『将来之日本』を刊行、文名の揚がったのを機およびに出京して設立したのが、民友社でした。「政治社会経済及文学之評論」と銘打った総合雑誌「国民之友」を発刊、平民主義鼓吹の主要な場としました。誌名は、彼が愛読していたアメリカの自由主義的色彩の濃厚な週刊誌ご扇ぎ昌○言にもとづいています。彼は、少し遅れて「国民新聞」も創刊します。


国粋主義は、一八八八年、二六歳の志賀重昂や二九歳の三宅雪嶺(本名雄次郎←雄二郎)ら十数人が、雑誌の発刊を期して興した同人組織政教社で、社是とした主張です。

その雑誌は「日本人』と名づけられています(発禁措置により一時「亜細亜」と誌名変更)。志賀は三河国岡崎の出身、ウィリァム・クラークで名高い札幌賎学校の卒業生ですが、キリスト教にはむしろ反感をもちました。南洋諸島を巡って、列強による植民地争奪の実相を見聞、危機感を深めたことが、国粋主義への直接の契機となりました。雪嶺は加賀国金沢の出身、東京大学に進みますが、現世に密着する政治経済でなく哲学をたんどく専攻し、開化渦まく東京にあって、古今東西の書物の耽読にその青年時代を送りました。


この国粋主義の強力な別働隊となったのが、陸掲南(本名実)が社主兼主筆をつとめる一八八九年創刊の新聞「日本」です。掲南は陸奥国弘前の出身、進学した司法省法学校で退学処分を受け、青森新聞社や開拓使所轄の紋別製糖所を転々としたのち、太政官文書局に勤務という経歴をもっていました。抱懐する思想を日本主義(旨義)と称しましたが、基調は国粋主義と同じです。『日本人」と『日本」は、経営難に直面しての結果とはいえ、のち合流して、一九○七年から雑誌『日本及口本人」となります。

こうした担い手たちによる平民主義と国粋主義は、たぶん前者はひろく後者は深く人びとを触発しつつ、一九世紀末期の日本を代表する二つの思潮となりました。その僅頭は、さきにのべたように、国家の骨格が定まって近代化が問い直しの時期に入ったという機運を背景としていますが、そこには直接の引金となった状況がありました。鹿鳴館に象徴される欧化主義がそれです。条約改正のための手段でしたが、その華美さは人びとの耳目をそばだてて、迎合との印象を与えました。それに反応しつつ、平民主義は、鹿鳴館的風潮を「貴族的欧化主義」と批判するとともに、みずからを「平民的欧化主義」と位置づけ、他方で国粋主義は、欧化主義にたいしての国粋保存を掲げました。



国家構想から文化構想へ

日本近代思想各論 | 記事URL


自由民権連動の引き潮は、政府と反対派との国家建設の構想をめぐる競いあいが、終りに近づいたことを意味しました。政府は主導権をもって、内閣制度の樹立一八八五年)、学校制度の整備(八六年)、憲法の発布(八九年)、教育勅語の換発(九○年)、貴衆両院より成る帝国議会の開設(九○年)と、一気に大日本帝国の骨格を造りあげます。条約改正交渉を進めたことももちろんで、その進展をにらみつつ、商法・民法などの法典の整備がはかられてゆきます。

大日本帝国憲法は、天皇について、「万世一系」という正統性、「統治」権という主権、「神聖」という不可侵性を規定し、いわゆる天皇制を打ちたてますが、同時に、日本を立憲国家として出発させるための規範ともなりました。教育勅語は、この制度に、教育をとおして、精神を注入する機能を担うことになります。「国体」の観念がここで確立します。


国家の骨格のでき上がったことは、知識人のありように一つの変化をもたらしました。



啓蒙思想家たちの多くは官僚でした。彼らは政策決定者ではなくとも、政策立案者であり、少なくとも専門的知識を駆使する政策実行者でした。また民権思想家たちは、みずからの理念を政策化することに情熱を抱いていました。いずれの場合も言論主体と政策主体は二にして一で、両者は未分化だったとも、統一されていたともいえます。その意味で彼らは、経世家的知識人でした。

しかし民権運動の敗北と国家体制の樹立は、政治と思想との距離を拡げました。あるいは、亀裂を生みだしました。政策主体と言論主体は基本的に別の人格となり、後者はおおむね、前者となることを断念したうえで発言してゆくこととなりました。もとより両者を兼ね州えようとする人びとは絶無ではありませんでしたが、型としていえば、知識人は経世家から批判者・提言者へと変身しました。


国家建設の基本路線がそのように定まり、言論主体が政策主体から一定の距離を置かざるをえなくなるとともに、より長期的な視野でそれまでの川本の近代化を総括し、これからのありようを考えようとする機運が高まりました。そのとき主題として立ちあらわれたのは、欧化と国粋の問題です。近代化を、西洋を本位として行うべきか、そのなかで雌祝されがちな伝統を本位とする婆勢で行うべきかの、構想の提示と論争です。これは、西洋の衝撃を受けた非西洋圏では、ほぼ一様に抱かれた課題でした。

この問題は、日本が西洋の一員か、東洋の一員か、との自己認識への問いとして、近現代をつうじて人びとに抱かれてきています。が、それがもっとも鮮明に諭埴の主題となったのは、憲法体制樹立期というべき一八八○年代末’九○年代においてでした。この時期の諭埴で主役を演じた観のある平民主義と国粋主義が、それぞれの論点を代表しました。



「国粋」と世界への貢献

日本近代思想各論 | 記事URL


それにたいして阿枠主義は、そのように「欧化」をもって将来の日本を築くことへの反揃をもって出発しました。「国粋」とはnationalityを意味します。その国粋主義の基調は、志賀重昂が創刊当初の「日本人』に寄せた三篇の論文『日本人』の上途を賎す」(第一号)、『日本人』が懐抱する処の旨義を告白す」(第二号)、「日本前途の国是は「国粋保存旨義」に撰定せざるべからず」(第三号)に、もっとも明快に示されています。


それらのなかで志賀は、「日本将来の大経倫ハ実に日本在来の旧分子を悉皆打破し、泰西の新分子を以て之と交換するにあり」とする欧化主義にたいし、「泰西の開化を輪入し来るも、日本国粋なる胃官を以て之を岨咽し之を消化、日本なる身体に同化せしめん」と主張します。そこには日本の近代化を、西洋への同化の方向にでなく、選択的摂取によって、西洋の文物の日本への同化の方向に打ちだそうとする構想、そうしなければならぬとする使命感が息づいていました。それは、たとえば開化度凹程度の基盤の上に、開化度一○の西洋をいきなり輸入すれば、在来の文化は圧倒されてしまうだろうとの危機感でもありました。

同時に国粋主義は、欧化にたいして防禦の姿勢を固くするだけの思想ではありませんでした。川粋つまりそれぞれの特色を生かして、Ⅲ界への進出あるいは貢献をめざす思想でもありました。その点を志賀はこんなふうにいっています。


人々個々既に各自最特の長処あるが如く、邦国個々も亦最特の長処無かる可からず(中略)。人々個々の間に各自が最特の長処あるを以て、所謂分業なる者起ることなれば、邦叫個々も亦最特の長処を以て分業せざる可からざるや知るべし(中略)。分業にして果して経済世界の真理なり交易の起源なりとせば、「国粋保存」ハ即ち経済世界の真理に非ずして何んぞ。



こうして国粋主義は、「至理至義」であるばかりでなく「至利至益」の思想でもあると、ナショナリストたちは主張したのです。

彼らのなかで哲学者の風格をもつ三宅雪嶺は、「真善美日本人」(一八九一年)を著わして、そのような国粋主義の立場をこう定式化しました。いわく、「自国の為に力を尽すひ他は、世界の為に力を尽すなり。民種の特色を発揚するは人類の化育を禅袖するなり」。

とともに彼は、そこで日本人の美点を称揚した反面、『偽悪醜日本人』(同年)を書いて、日本人の欠点を指摘することを怠りませんでした。王陽明を好み、東洋の立場から西洋をも入れた世界哲学への志向をもっていました。また彼らのうち随一の政論家である陸朔南は、「近時政論考」二八九一年)をものし、みずからの立場を「国民諭派」と名づけて、維新以後の政論の展開のなかに位慨づけ、その立場を、外にたいしては「国民の特立」を、内においては「国民の統こを求めるものと規定しました。

このような文脈をもつ国粋主義は、政策としては、自由貿易にたいして保護貿易を、また欧米にたいして対等な権利の回復を主張し、妥協的な条約改正案への反対の急先鋒となりました。そういう態度と国民的自負心の提唱は、楢々たる欧化のまえに守勢一方に近かった守旧派を、しばしば勢いづかせ、また排外的な空気を高めたりもしました。




とともにそれは、資本主義化という大勢のまえに析出されてゆく「社会的弱者」に、初めて手をさしのべる思想ともなったのでした。三菱の経営する長崎県下の高島炭坑での坑夫虐待について、「三千の奴隷を如何にすべきや」というかたちで一八八八年、はなばなしく告発のキャンペーンを張ったのは、「日本人」でした。


啓蒙思想が、伝統の否定のうえに西洋の摂取を主張し、民権思想が、伝統のうちにも西洋と同質の思想をみいだしたのにたいし、国粋主義は、近代化が圧倒的に西洋化と認識されているなかで、非西洋型の、つまりもう一つの近代化への途を示そうとしたといえるでしょう。政府の、列強クラブへの加入を急ぐ政策にたいする鋼南の批判は、すこぶる捕烈です。「彼等が国交上に於て「対等‐」といふことは唯だ欧米に倣ふといふのみ(中略)。東洋国又は東洋人たるの恥辱を免れんと欲するに在り」(「国際論補遺」一八九三年)。

もっとも政策の遂行者には、彼らの経諭がありました。日浦戦争のさいの外相陸奥宗光は、「外交秘録」としての「けんけん録」(一八九五年)で、この戦争を「西欧的新文明と東亜的旧文明との衝突」と捉えています。


また国粋主義者たちは、アジアでの民族主義運動のもつ自己革新の力に注目しました。インドの独立連動を伝えたり、中国の革命思想家李卓吾を顕彰して、中国における李卓吾再発見のいとぐちを作ったのも、彼らでした。



「明治ノ青年」と平民的欧化

日本近代思想各論 | 記事URL


 徳富蘇峰の主張する平民主義の核心は、民友社を興すに至る時期の二冊の著作『第十九世紀日本ノ青年及其教育」(一八八五年、のちに増補して『新日本之青年』八七年)、「将来之日本」(八六年)と、「国民之友』創刊号(八七年二月)に載せた「嵯呼国民之友生れたり」にみることができます(前二者は、植手通有編「徳富蘇峰集』〔明治文学全集訓、筑嘩書房、一九七四年〕所収)。それらで彼は、「世界ノ気迎」Ⅱ「天下ノ大勢」が「武備社会」より「生産社会」へ、「貴族社会」より「平民社会」へ転じつつあるとして、その大勢に則った改革のために、「天保ノ老人」に代る「明治ノ青年」の密起を促し、つぎのようにいい放ちます。

所謂る破壊的の時代漸く去りて建設的の現像将に来らんとし、東洋的の現像漸く去りて泰西的の現像将に来らんとし、旧日本の故老は去日の車に乗して漸く卿台を退き、新日本の青年は来日の馬に駕して漸く舞台に進まんとす。

「武備」と「生産」、「貴族」と「平民」、「破壊的」と「建設的」、「東洋的」と「泰西的」、「故老」と「青年」、「旧日本」と「新日本」などという歯切れのいい二分法と、それにもとづく、過去に代えての未来の提示は、若い世代を中心に熱狂的な支持を生み、蘇峰を諭地の寵児としました。「泰西の社会は平民的(中略)と雌も、此の文明を我邦に輸入するや(中略)、端なく貴族的の臭味を帯ひ」という彼の現状診断と、それにもとづく「平民的欧化主我」の提唱は、斬新な柵想として人びとを引きつけました。こういう主張を機軸とした「国民之友」は、当時の代表的な論客のほとんどすべてから寄稿をえたこともあって、商業的にもめざましい成功をみせました。

しかし蘇峰は、日清戦争を機として、のちに彼のいう「帝国主義」の立場に極じます。

ことに三国干渉は、彼を国家主義の熱烈な使徒としました。そののち彼の言論活動は一貫してその路線を歩み、アジア太平洋戦争(二八九頁参照)下での日本文学報国会、ついで大川本言論報国会の創立に当っては、会長に就任するに至ります。



日本の近代思想

日本近代思想概論 | 記事URL


日本の近代を支えた思想を振り返ります。

思想という言葉は、多くの言葉同様に多義的であることを免れません。とはいえ、「思索の、おおむね体系化された結実」というほどの意味に、大方の合意はできているとみることができましょう。辞書の定義も大同小異で、一例を挙げると、『広辞苑』(一九九八年刊行の第五版)には、「思考内容。特に、体系的にまとまったものをいう」と記載されています。

ほぼこれが慣行的な定義ですが、少し細かくみると、思想という言葉で想像される枠組が、よりはっきりしてきます。一つは、思考の内容を意味するという点です。思索するという活動は思惟・思考などと呼ばれ、また活動のもつ主体性に力点を置く場合、精神という言葉が宛てられたりします。いま一つは、なんらかの体系性が想定されているということです。それを欠くと受けとめられた場合、意識あるいは直観として、思想から区別されるのが通常です。その一方で思想は、哲学ほどの厳密性、体系性は求められず、人生観、社会観などという次元の不定型性を含むとも理解されています(世界観となると、究極性、絶対性が強く、哲学色が濃くなります)。

思想は、ほぼこういう枠組のなかに位岡する「考えられたこと」と受けとめられてきました。福沢諭吉の思想とか柳田国男の思想という場合に、もっともよく当てはまります。



- Smart Blog -