地域経済が停滞すると、国や自治体は新しい産業を呼び込み、雇用を生み出そうとします。とりわけ、先端技術産業の誘致は、地域を一気に豊かにする切り札のように見えます。工場ができれば仕事が増え、研究所ができれば技術が進歩し、企業が集まれば新しい産業が育つ。そこに住宅や文化施設を整備すれば、働く場所と暮らす場所が一体となった新しい都市が生まれる――。こうした期待を背負って登場したのが「テクノポリス構想」でした。

しかし、構想が掲げた理想と、実際に進んだ開発との間には、少なからぬ隔たりがありました。企業誘致や工業団地の整備が先行する一方で、住民の暮らしを支える都市環境づくりが後回しになる。地域の自立を掲げながら、実際には国の制度や企業の立地判断に左右される。先端技術を地域に導入することと、地域そのものが豊かになることは、必ずしも一致しなかったのです。

この問題を考えるうえで大切なのは、テクノポリスを単純な成功・失敗の二択で評価しないことです。研究開発の基盤や地域の技術振興を促した面がある一方、産業誘致に偏り、地域社会の形成という本来の目標を十分に達成できなかった面もありました。

ここでは、1980年代に始まったテクノポリス構想の背景、制度の仕組み、香川田園テクノポリスの事例、そして計画が抱えた根本的な問題を整理します。具体的な数値や評価は、主に1990年代初頭に行われた検証に基づくものです。

1. テクノポリス構想はなぜ生まれたのか

石油危機が変えた日本経済と地域開発

テクノポリス構想が打ち出された背景には、1970年代以降の日本経済の構造変化がありました。

1973年の第一次石油危機、1979年の第二次石油危機を経て、日本経済は高度経済成長期のような高い成長率を維持することが難しくなりました。鉄鋼、石油化学、造船など、これまで日本の成長を支えてきた重厚長大型産業も、国際競争やエネルギー価格の変化などによって厳しい状況に直面しました。

これらの産業を中心に発展してきた地域では、工場の生産活動や雇用が停滞し、地域経済の先行きに不安が広がりました。さらに、国の財政にも余裕がなくなり、公共事業を増やすことで地方経済を支える従来型の方法にも限界が見え始めていました。

そこで期待されたのが、半導体、コンピューター、情報通信、バイオテクノロジーなどの先端技術産業です。従来の素材型産業に代わる成長産業を育成し、その生産機能や研究開発機能を地方に分散させることで、地域経済の再生と日本全体の産業競争力の向上を同時に実現しようとしたのです。

つまり、テクノポリスは単なる工業団地計画ではありませんでした。日本の産業構造を高度化すると同時に、地方に新しい発展の可能性をもたらす国家的な構想として登場したのです。

シリコンバレーをモデルにした「産・学・住」の都市

テクノポリスは「高度技術集積都市」を意味する構想で、アメリカのシリコンバレーがモデルの一つとされました。1980年2月の産業構造審議会答申を契機に構想が打ち出され、1984年には高度技術工業集積地域開発促進法、いわゆるテクノポリス法が制定されました。最終的に、全国26地域で開発が進められました。

その理想は、先端技術産業の「産」、大学や研究機関の「学」、快適な生活環境を備えた「住」を調和させることでした。

テクノポリスが目指した三つの要素

産:先端技術産業

高度な技術を使う企業を育て、研究成果を製品や新しい事業に結びつける。

学:大学・研究機関

研究開発、人材育成、技術移転を通じて、地域の技術力を高める。

住:快適な生活環境

住宅、交通、福祉、文化、自然環境などを整え、人々が働き、暮らし続けられる都市をつくる。

この三つが結びつけば、企業は優れた人材や研究成果を得られ、大学は地域の産業と連携でき、住民は働く場所と暮らしの豊かさを両立できるはずでした。企業を誘致するだけでなく、技術と人材が循環し、地域社会が長期的に発展する仕組みをつくろうとしたのです。

なぜ全国の自治体が誘致に走ったのか

テクノポリス構想は、地方自治体から大きな注目を集めました。構想が発表された当初、国は全国で一カ所、投資額1兆円規模の開発を想定していたとされています。ところが、指定を目指して名乗りを上げた地域は40近くに達しました。1981年には、まず19地域が基本構想策定地域に選ばれています。

自治体にとって、テクノポリスの指定は大きな機会でした。先端技術産業を呼び込み、地域の知名度を高め、研究機関や道路などの整備を促進できる可能性があったからです。停滞する地域経済を立て直したい自治体にとって、国の支援を受けながら新しい産業を育てる構想は、魅力的な選択肢に見えました。

また、テクノポリス法には、企業の設備投資に対する税制上の優遇、低利融資、開発機構への助成など、企業や地域を支援する仕組みが盛り込まれていました。

ただし、ここには後に重要となる問題も潜んでいました。地域がテクノポリスを誘致する動機は、地域社会を長期的に育てることだけではなく、国の支援や企業の立地を獲得することにも向かいやすかったのです。指定を得ることが目標になると、地域がどのような都市をつくりたいのかという根本的な問いが、後景に退いてしまう危険がありました。

2. 構想の理想と実際の開発には隔たりがあった

産業政策としては合理的でも、地域開発としては不十分

テクノポリス構想の目的は、地域経済の自立、技術立国の推進、地元主導の地域開発という三つの方向に整理できました。先端技術産業を地方に展開し、地場企業の技術力を高め、研究開発機能を充実させる。そこには、産業政策として理解できる合理性があります。

しかし、実際の政策の重点を見ると、企業が立地しやすい工業用地、工業用水、道路などの整備が前面に出ていました。つまり、構想が掲げた「産・学・住」の一体化に対して、企業誘致を支える産業基盤の整備が先行しやすかったのです。

研究機関を誘致しても、地域の企業がその成果を利用できなければ、地場産業の技術力向上にはつながりにくくなります。先端技術企業が立地しても、地域の人材を採用し、地域企業と取引し、地域内で技術や所得を循環させる仕組みがなければ、企業の存在が地域経済全体に波及するとは限りません。

また、工場や研究所が整備されても、住宅、下水道、公共交通、医療、文化施設など、住民の日常生活を支える環境が十分に整わなければ、人々が長く暮らしたい都市にはなりません。

テクノポリスの問題は、先端技術産業を育てようとしたことではなく、産業を誘致する政策と、暮らしやすい都市をつくる政策を十分に結びつけられなかったことにありました。

国の構想なのに、地域の主体性が弱かった

もう一つの矛盾は、地域の主体性を掲げながら、構想づくりの実際には国の制度や外部のコンサルタントへの依存が強かったことです。

本来、地域の主体性とは、地域の歴史、産業、大学、人材、自然環境、住民の希望を踏まえ、自分たちの将来像を描くことです。地域ごとに条件が違う以上、目指す都市の姿も異なるはずです。

ところが、国が用意した詳細な手引きに沿って構想を作成し、短期間で計画をまとめる方式では、全国共通の形式が優先されやすくなります。地域の特色を生かすはずの計画が、実際には似たような工業開発計画になってしまう。これでは、自治体が独自の発想を持ち込む余地が狭まります。

地域の主体性を制度の看板に掲げるだけでは、自立的な地域開発は実現しません。地域の人々が議論し、合意を形成し、産業と生活の関係を長期的に設計できることが必要なのです。

3. テクノポリスは期待された成果を上げたのか

全国26地域の進捗をどう見るか

テクノポリス構想の成否を検証するには、単に企業が進出したかどうかを見るだけでは不十分です。工業出荷額、工業従事者数、人口などが、計画時に想定された水準にどれほど近づいたのかを確認する必要があります。

1990年前後にまとめられた検証では、1987年時点で、計画目標に対する達成度が50%を超えていた地域は、指標によって大きく異なっていました。

評価指標目標の50%を超えた地域数
工業出荷額4地域
工業従事者数4地域
人口8地域
3指標すべて2地域

この数字だけで、26地域すべての価値を判定することはできません。研究機能の整備、技術移転、企業間の連携、地域の知名度向上など、工業出荷額や人口だけでは測りにくい成果もあるからです。

それでも、少なくとも当初の目標との比較では、期待された成果を十分に上げられていない地域が少なくなかったことがわかります。地域経済の構造を変え、産業の高度化と定住を同時に実現するという大きな目標に対し、開発の進捗は必ずしも順調ではありませんでした。

企業誘致の件数が多ければ成功なのか

企業が進出したこと自体は、地域にとって重要な成果です。しかし、企業誘致の件数だけを見ても、地域の発展を正しく評価できるとは限りません。

たとえば、大規模な工場が数社進出すれば、工業出荷額は大きく伸びるかもしれません。一方、多数の中小企業が進出しても、個々の企業の規模が小さければ、工業出荷額への影響は限定的です。ただし、中小企業が地元の取引先を増やし、地域の雇用を支え、技術を蓄積するならば、長期的な地域振興に貢献する可能性があります。

反対に、大企業が進出しても、部品や原材料の調達先が地域外に集中し、利益や研究開発機能も地域外に置かれていれば、地域に残る経済効果は限られるかもしれません。

したがって、企業誘致を評価する際には、立地件数や生産額だけでなく、雇用の質、地元企業との取引、技術の波及、人材の育成、住民の生活環境への効果などを併せて見る必要があります。

テクノポリスの検証が突きつけたのは、開発の成果を何で測るのかという問題でもありました。

4. 香川田園テクノポリスに見る理想と現実

「田園都市」の理念を掲げた地域

テクノポリスの問題を具体的に考えるため、重要な事例となるのが香川田園テクノポリスです。

この地域は高松市を中心に、丸亀市、坂出市、善通寺市、観音寺市などの都市と周辺町村を含む圏域として構想されました。香川県には瀬戸内海の自然環境や農業、地場産業の蓄積があり、瀬戸大橋や高速道路、新高松空港などの交通基盤も整備されつつありました。

香川の構想は、先端技術産業を誘致するだけでなく、豊かな田園環境と都市の活力を組み合わせることを掲げていました。その背景には、香川県出身の大平正芳元首相が提唱した「田園都市国家構想」の理念もありました。

田園都市の理想は、都市の生産性や情報機能と、農村の自然や人間関係の豊かさを結びつけることです。単に都市を拡大するのでも、農村を昔の姿のまま保存するのでもなく、両者の長所を生かしながら、人々が豊かに暮らせる地域社会をつくろうとする考え方でした。

この理念は、「産・学・住」の調和を掲げたテクノポリス構想とも親和性がありました。

工業出荷額の目標と実際のギャップ

ところが、香川田園テクノポリスでは、掲げられた工業開発目標と実際の進捗との間に大きな隔たりが生じました。

当初の計画では、1980年の工業出荷額約1兆4,417億円を、1990年には2兆3,300億円に増やすことが目標とされていました。しかし、本文に示された1988年までの実績では、工業出荷額の伸びは1980年比で約6%にとどまりました。工業付加価値額や工業従事者数など、人口以外の指標にも厳しい状況が見られました。

一方で、企業立地そのものは一定の進展を見せていました。1981年から1989年までに、テクノポリス圏域へ立地した企業は計221件に達し、県全体の企業立地件数の約7割を占めていました。

つまり、企業は進出していたのに、工業出荷額や雇用などの目標達成には十分につながっていなかったのです。

この背景には、立地した企業の規模や性格がありました。圏域内では中小規模の企業が多数を占め、大規模企業の立地は限られていました。工学系人材の確保が難しいことや、自治体の助成・優遇措置が十分でないことなども、当時の報道で要因として挙げられていました。

ただし、ここで重要なのは、単に大企業を誘致できなかったことだけが問題なのではないという点です。香川には、臨海工業地帯の大企業だけでなく、地場の有力企業や多様な中小企業が地域経済を支えてきた歴史がありました。そうした既存の産業基盤をどう生かし、先端技術と結びつけていくのかが、本来は重要な課題だったのです。

地域の実態を十分に踏まえず、大規模な先端技術産業が進出することを前提に高い目標を掲げれば、計画と現実のずれは避けにくくなります。

工業団地はできても、暮らしの基盤は十分に整わない

香川田園テクノポリスでは、新高松空港や道路、工業団地、駅周辺の再開発など、産業や企業活動に関わる施設整備が進められました。

しかし、本文が問題視したのは、こうした整備が点や線にとどまり、圏域全体の住民生活を支える基盤の整備には十分に広がっていなかったことです。下水道などの生活関連インフラや、福祉、快適な居住環境の形成が、産業関連の整備に比べて後回しになっていたと指摘されています。

県の長期構想には、快適な環境づくりや福祉社会の形成を目指す計画もありました。公園や水辺空間の整備、在宅福祉サービスの充実、高齢者に配慮した住宅の供給など、田園都市の理念に直結する取り組みも掲げられていました。

しかし、産業政策と都市政策が別々に進められれば、工業団地や交通網が整備されても、地域全体が住みやすくなるとは限りません。先端技術産業のための施設は整っても、住民が日常的に利用する生活環境が不十分なままでは、「田園都市」の理想から遠ざかってしまいます。

香川の事例が示しているのは、産業を育てることと、地域社会を育てることを別々に進めてはならないという教訓です。

5. テクノポリスの功績と限界

評価できる点――技術振興と地域の意識変化

テクノポリスに対しては、厳しい評価だけでなく、一定の成果を認める見方もありました。

肯定的な評価では、先端技術産業や工場の立地が進んだこと、研究開発の環境が整備されたこと、技術振興を担う組織や支援施設がつくられたことなどが挙げられています。

さらに重要なのは、地域の側に、技術を自分たちで育て、産業を自立的に発展させようとする意識が生まれたことです。大学や研究機関、企業、自治体の連携を通じて、地域独自の技術革新を進めようとする動きも現れました。

こうした変化は、単に工場を誘致するだけの従来型の地域開発から、技術や知識、人材を育てる地域づくりへ移行する可能性を示していました。

この意味では、テクノポリス構想が、地方の技術振興や研究開発への関心を高める契機となったことは評価できます。

限界――「テクノ」はあっても「ポリス」がない

一方、批判的な評価が問題視したのは、テクノポリスが結局のところ、先端技術産業のための工業団地になってしまう危険性でした。

「テクノ」は技術を意味しますが、「ポリス」は都市や共同体を意味します。構想の名称に照らせば、技術産業が存在するだけでなく、人々が暮らし、学び、働き、文化を育み、地域社会を形成する都市であることが求められます。

ところが、実際の整備が企業誘致や工業団地に集中し、住宅、生活関連インフラ、文化、福祉などが十分に整わなければ、技術産業の集積地にはなっても、豊かな都市にはなりません。

ここには、国家プロジェクト型の地域開発に共通する問題があります。企業や工場を地域に持ってくることはできても、その企業が地域に根づき、地域社会の一員として長期的に活動する仕組みをつくるのは別の課題なのです。

企業は地域に永住するとは限らない

さらに根本的な問題として、企業が地域に立地する理由があります。

企業は、土地や労働力、水資源、交通条件などを比較し、経営上の利益が得られる場所を選びます。地域に安価な土地や豊富な水があれば進出するかもしれません。しかし、賃金や地価が上昇したり、別の地域の方が有利になったりすれば、企業は移転や生産拠点の再編を検討する可能性があります。

企業にとっての立地は、経営上の選択です。地域への愛着や住民生活への責任だけで、立地が維持されるわけではありません。

そのため、地域経済を企業誘致だけに依存させると、企業が進出している間は活気があっても、撤退後に雇用や地域経済が大きな打撃を受けるおそれがあります。

大切なのは、企業を誘致することに加えて、地場企業を育て、地域内の技術や人材を蓄積し、産業間の取引を広げ、住民が暮らし続けられる基盤を整えることです。そうすれば、特定の企業の動向に左右されにくい地域社会に近づけます。

6. テクノポリスの経験から何を学ぶべきか

産業政策と都市政策を一体化する

テクノポリス構想から得られる第一の教訓は、産業政策と都市政策を一体として進める必要があるということです。

企業誘致、研究開発、技術移転といった産業面の施策は重要です。しかし、それと同時に、住宅、交通、教育、医療、福祉、文化、自然環境など、人々が暮らすための条件を整える必要があります。

本文は、アメリカのピッツバーグ市の都市再生にも言及しています。かつて鉄鋼などの重工業に依存していた同市は、産業構造の転換と都市の再生を結びつけることで、新しい都市像を目指しました。産業政策と都市政策を切り離さず、経済活動の再編と生活環境の改善を関連づけることが、都市の再生には重要だという考え方です。

地域の産業を強くすることと、住民の暮らしを豊かにすることを、別々の政策目標として扱ってはなりません。人々が住み続けたいと思える地域であることは、企業にとっても人材を確保しやすい環境につながります。

地域の特色から出発する

第二の教訓は、全国共通の開発モデルを当てはめるのではなく、地域の特色や既存の資源から出発することです。

地域にはそれぞれ異なる歴史、産業、自然環境、大学、人材、文化があります。ある地域では先端技術産業を中心に発展できるかもしれませんが、別の地域では農業、食品加工、観光、伝統産業、医療・福祉関連のサービスなどを組み合わせる方が現実的かもしれません。

重要なのは、どの地域も同じような工業団地をつくることではありません。地域にすでにある産業や人材を分析し、どのような技術や市場と結びつければ新しい価値を生み出せるのかを考えることです。

香川の事例でも、既存の地場企業や農業、田園環境をどう生かすのかが重要でした。先端技術産業を外から導入するだけでなく、地域が長年培ってきた知識や産業を技術革新につなげる発想が必要だったのです。

住民の生活を開発の中心に置く

第三の教訓は、企業や産業を優先するのではなく、地域に暮らす人々の生活を中心に置くことです。

地域開発は、工業出荷額や雇用者数を増やすためだけに行うものではありません。人々が安心して暮らせること、必要なサービスにアクセスできること、学びや文化に触れられること、地域の自然や歴史が守られることも、重要な成果です。

そのため、開発計画をつくる際には、誰のための事業なのか、住民の生活をどのように改善するのか、長期的に地域へどのような効果が残るのかを検討しなければなりません。

企業誘致が成功しても、住民が地域に暮らし続けられず、若者が流出し、生活サービスが衰退するのであれば、地域の豊かさが実現したとは言いにくいでしょう。

反対に、地域の中に仕事、教育、福祉、文化、交流の機会が育ち、住民が地域の将来に参加できるようになれば、企業の立地状況が変化しても地域の活力を保ちやすくなります。

7. まとめ――企業を呼ぶだけでは、豊かな都市は生まれない

テクノポリス構想は、先端技術産業を地方に導入し、研究開発機能を高め、地域経済の自立と快適な都市づくりを同時に目指した国家的プロジェクトでした。産業構造の転換が求められていた時代に、地方の技術振興や研究開発への関心を高めたという点では、一定の意義がありました。

しかし、実際の開発では、企業誘致や工業団地、交通施設などの産業基盤整備が先行し、「産・学・住」の調和という理想を十分に実現できない地域もありました。香川田園テクノポリスの事例は、企業の立地が進んでも、工業出荷額や雇用の目標が達成されるとは限らず、生活環境の整備も自動的には進まないことを示しています。

この経験から導かれるのは、技術産業を育てることと、地域社会を育てることを一体として考えなければならないという教訓です。企業は地域の利益だけを目的に立地するわけではありません。だからこそ、地域には、企業の進出や撤退に左右されにくい産業、人材、生活基盤を育てる視点が必要です。

そして、まちづくりの成否を決めるのは、誘致した企業の数や建設した施設の規模だけではありません。地域の人々が働き、学び、暮らし、将来を描ける環境が整ったかどうかです。

「テクノ」を導入するだけでなく、「ポリス」を育てる。 先端技術を地域に持ち込むことを目的にするのではなく、その技術を地域の仕事、暮らし、文化、福祉に結びつけること。それが、国家プロジェクトの経験から学ぶべき、まちづくりの根本的な課題です。